【正論は嫌われる?】正しいことを言って、なぜ嫌われるのか本気でわからない同志いない?

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正しいに忠実

正論はなぜ嫌われるのか

正論とアドバイス

それでも正論を嫌がる人

正しいに忠実

最大の長所であり短所でもある

どうも、こーとーです。

 

あなたの知り合いに、

正論ばかり言ってて鬱陶しいなと思う人はいませんか?

 

もしかすると、僕がその鬱陶しい人かもしれません。

 

今日は、知り合いに何度か正論で嫌われた僕が何を考えているのかお話したいと思います。

自分の正しいを信じて選択

まずは、少し自分の正しいの定義から。

 

僕は、今までの選択を正しいと思ったほうを選択するケースが多かったです。

 

まぁ、当たり前っちゃ当たり前のこと言ってますよね笑

 

 

僕にとっての正しいの定義は、

日本の多くの人が正しいと思うであろう方を正しいとしてきました。

(まぁ、アンケートを取るわけではないので、予想でしかないですが)

 

たとえば、勉強はしたほうが良い。とかね?

もちろん怠惰な選択をしてきたこともある

もちろん僕だって人間で、

勉強したほうが良いとわかっていてもサボってしまったりなど、

正しくない選択をしたこともありますが、

僕はこれを正しくないとわかっているから正しいと考えてきました。

 

 

もちろん、犯罪を犯して、「正しくないとわかっているから正しい」とかそういう考えではありません。

俺が言いたいのは怠惰な選択の話。

正論はなぜ嫌われるのか

ここからが本題!

 

正論が嫌われる事は僕にとって腑に落ちない常識です。

 

でも自分の正しいの定義上、

正論を嫌う人が世の中には多いので正しいこととみなしています。

 

でも、腑に落ちないんです。

 

そこで、なぜ正論が嫌わるのか考えてみました。

正論を言う資格のない人が言うから

正論を言っている人自身ができていないのに、

他人に正論を言っているようでは、

「いや、お前もやん」となって当然だと思います。

 

お前に言われたくねーよ!ってやつですね。

言い方が煽っているから

「なんでそんな事もできないの?こうしたほうが良いに決まってるやん!」

こんな言い方では、嫌がられて当然だと思っています。

 

これは、正論でもアドバイスでも説教でもなく、

煽りです笑

やる気がないから

正論は言わばアドバイス。

改善する気のない人にとってのアドバイスは、

鬱陶しいという感情しか生み出さないかもしれません。

正論とアドバイス

そもそも正論と言ってほしくない

ここまで、わかりやすく悪者になるために、

「正論」と言う言葉を使って来ましたが、

僕はすべて「アドバイス」のつもりです。

正論とアドバイスの違いを説明できますか?

 

僕は、相手に寄り添って伝えるかどうかだと思っています。

 

自分の正義の押しつけは、正論。

相手の事も考えたものは、アドバイス。

 

 

という考え方です。

僕のアドバイスは、相手の事情も組んだ妥協案

自分ができる範囲でアドバイスと言っても、

正直言って他人より努力できることが多いし、

そつなくこなすことができる場合が多かったです。

 

なので、

すべての人ができるわけではないということもわかった上で、

その人の環境やスケジュール、得意不得意、を考慮した上で、

僕が本当に言いたかった「正論」から、

いくらか妥協した案を出すことが多いです。

その妥協部分は俺が埋めたりすることになるのですが、

嫌な顔せずしているつもりです。

何でもかんでもアドバイスをしているわけではない

いろんなことに対して、

こうしたほうが良いのでは?という正論が浮かんでくるのですが、

もちろん浮かんだ正論をすべてぶちまかしているわけではなく、

 

俺が頑張りたいこと。

頑張ってもらわないと自分に大きく迷惑がかかること。

にしかアドバイスをしません。

 

それも、超最低限のこと

 

例えば、バンド活動だと、

音楽でチケット代を取ってる以上、

さすがに「音楽」をしないとダメで、

いくらなんでも見逃せない間違ったメロディを修正するといった感じ。

 

遅刻しないほうが良いよ。

遅刻してしまうなら、

わかった時点で連絡を入れて、

到着したときは誤ったほうが良いよ。

のような超基本的なところなど。

 

 

それらができていない状態って

流石に誰かがなんかしら注意することになると思います。

 

その役目を負うことが多いだけなんです。

 

 

次のページでは、正論を嫌う人の意見に対して回答しています。

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